ジャンヌダルクの名前は、聞いたことがあると思います。しかし、彼女について知っている人は少ないでしょう。私もその一人でした。
今回訪れたルーアンという街は、ジャンヌダルクが火あぶりの刑によって処刑された場所です。この旅行をきっかけにジャンヌダルクがどんな人物だったのかに興味を持って調べたので、街の紹介とともに記述してみたいと思います。
目次
~ジャンヌダルクとは~
ジャンヌダルクは19歳でルーアンで火あぶりにより処刑された、フランスの英雄です。いったいどうして、こんなことになったのでしょう。
ヒロインになるまで
ジャンヌダルクは、1412年にフランスの農村に生まれました。この当時、フランスとイングランドは100年戦争の真っ最中で、形勢はイングランドに有利な状態でした。
彼女はある日夢の中で「王太子(=シャルル7世)を助け、フランス領を奪還しなさい」という、神のお告げを聞きました。それを信じた彼女は、王太子の元へと向かいます。そして、なんと、王太子はジャンヌダルクに望みを託したのです!
ジャンヌダルクは軍の指揮官に異例の抜擢をされます。そして、今にも陥落しそうだったオルレランという町に行きました。オルレランは、フランス中心部への侵攻を防ぐ最後の砦でした。そして、イングランドと戦い、見事に守りきることに成功したのです。
つまり、今のフランスがフランスで居られるのも、彼女がこの戦いで勝利したからなのです(^^)。
処刑まで
彼女はその後も幾たびの戦いを勝利に導きます。しかし、ついに人質にとられてしまいます。イングランドは彼女に、男装していることが「異端」という罪だとし、処刑することにしたのです。
かなり強引な理屈だったようですが、逆に言えば、処刑しなければならないほど、彼女にはフランス国民の求心力があったのです。
そして、この地ルーアンで火あぶりの刑に処されました。
~ジャンヌダルク教会~
彼女が処刑された場所には、今ではジャンヌ・ダルク教会が立っています。ここは中に入ることができます。教会といっても、意外とモダンな形をしています。
小さな教会ですが、ジャンヌダルクの背景を知っていることで、ここがすごい場所だと分かります。
中のステンドグラスは他の教会から移された16世紀のものらしいです。かなり大きくて、明るい印象のある色使いです。見応えがあります。
~ルーアン散策~
さて、ジャンヌダルクからは離れて、町歩きをしてみましょう。
ルーアン大聖堂
これがルーアン大聖堂です。町歩きをしていて、これを素通りすることは不可能でしょう。圧倒的な迫力があります。
ルーアン大聖堂はなんだか聞き覚えがあると感じた人もいるのではと思います。
とういのも、あの有名なクロード・モネが連作で描いた大聖堂です。モネはなんと、ルーアン大聖堂だけで、33枚の絵を描いたそうです(;'∀')
33の絵は、今では各地に広がっています。その中の1つが、この地にあるルーアン美術館にもあります。こちらがその絵画です。
モネらしい印象画ですね。近くで見ると何を描いているのか分かりづらいのに、離れてみるとその様相が浮かびあがってくるモネの描き方です。
大時計
歩いていると急に現れるのが、この町のシンボルの大時計です。なんと設置されたのは1525年です。約500年間現役で時を刻んでいます。しかも、金ピカで、今見ても見劣りしないです。
マーケット
歩いていると、マーケットがありました。フランスは町を歩いているとマーケットに巡り会うことが多く、ついつい立ち寄ってしまいます。日本だと市場よりスーパーで買う方が安心感があるのですが、ヨーロッパだとダントツで市場への信頼感があります。この感覚はなぜなんでしょう 笑。
チーズやオイスターが並んでいました。このルーアンはノルマンディー地方の中心地です。つまり、カマンベールチーズが有名です。もちろん買ってしまいました( ̄ー ̄)ニヤリ。
後で家で食べると、スーパーで買うカマンベールチーズと全く違いました。内側がめちゃくちゃトロけて、外側の部分もかたすぎず、香ばしいです。スーパーのだと、外側まで美味しいとは感じたことがなかったでビックリです。本物はスゴイです(≧▽≦)。
フランスを救った英雄が眠る、ルーアンでした!
END