ポーランド:アウシュビッツ ~歴史と向き合う場所~

ユダヤ人の方を始めとし、障害のある方などが、大量に殺害された場所。その「アウシュビッツ・ビルケナウ」はポーランドにあります。ナチス政権のイメージからドイツにあると思われがちですが、当時のドイツの占領下であったポーランドにその場所があります。

ここでは、話に聞くだけで恐ろしい虐殺というものが、いかに行われたのかを知ります。歴史の教科書を読むより何十倍も人間の残酷さを肌身で感じ、決して繰り返されてはならないということが、深く心に突き刺さります。

<ガイドツアー>

収容所の中はガイドツアーで周ります。英語ツアーだったこともあり、アジア系の人やヨーロッパ系の人まで、多くの方が参加していました。

アウシュビッツから

ツアーはアウシュビッツから始まります。(その後に、ビルケナウへと向かいます。)

まず私達がくぐるのは、「ARBET MACHT FREI」と書かれた門です。働けば自由になれるという意味で、収容される人々は、そのような嘘をつかれて、強制労働に課せられました。

朝から晩まで労働に付かされ、食事もろくに与えられず、風呂もトイレも劣悪な環境で病気が蔓延していたとのことです。

建物の内部は、当時の様子をそのままにしている場所や、展示室へと改装された場所などがあります。下は展示物の一例です。

焼却されて黒くなった、大量の眼鏡や義足が残っています。身体障害がある方が、多数連行され、この地で殺害されたことが分かります。

他にも、名前の入ったカバンが積み上げられていたりもしました。

眼鏡
収容された人々の義足

人々が寝かされたいた、劣悪な場所がありました。一段にぎゅうぎゅうに寝かされていたとのこと。トイレも無く、夏は酷暑、冬は極寒という環境だったそうです。

本当に、胸が苦しくなるような場所ばかりです。

ガス室、焼却炉、銃殺場、このような当時の施設がたくさん保存されています。

ビルケナウへ

アウシュビッツを一通り周ると、一度ガイドさんとお別れします。各々が休憩をとったのち、バスで「ビルケナウ収容所」へと移動します。バスだとすぐですが、歩くと少し遠いです。このビルケナウ収容所の前で、ガイドさんと再会します。(ガイドさんは個人の車で一足早く来ていました。)

このビルケナウというのが、実はこの地で最大の収容所です。着いてみると、ただっ広い敷地に、門の方へと線路が伸びています。

この線路を使って、ドイツなどの周辺地域から、人々は貨物列車に乗せられ運ばれてきたのだそうです。

そして、この場所で降ろされ、恐ろしいことが始まりました。「働けそうか、働けなさそうか」を基準に、パッと見で次々と2つのグループに分けられていったのです。

働けそうな人は収容所行き、働けなさそうな人はガス室行きになったのです。ガス室で殺された後の遺体は、すぐに横の焼却炉で燃やされました。

このあまりに非人道的な行為が公になることを恐れ、戦後末期に戦況が不利になると同時に、証拠隠滅のために建物を次々に破壊したそうです。その結果、今は建物がほとんど何も無く、線路だけが残っています。

<最後に>

旅行といえば、基本的には楽しいものです。けれど、この場所はそれとは違う場所でした。

しかし、「来てみて本当に良かった」というのが率直な感想です。元々多少の知識はありましたが、現場を目にすると、それを遥かに超える情報に触れることができたからです。

残酷だと知っていた話が、どれほど残酷だったのかを理解することになったのです。知れば知る程に辛い内容なのですが、理解することで自分の歴史認識がより正確になったと感じます。

この場所は、前回紹介したクラクフから日帰りでも行ける場所です。歴史を知りたい方は、一日使って立ち寄るのが良いと思います。

END

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